30歳までに日本へ戻ろうと思った

28歳の私は海外に残ることもできた

2001年、28歳だった私はニュージーランドにいた。

カナダでのワーキングホリデーを終え、残ったお金でニュージーランドへ渡った。

果樹園で働き、ワイナリーレストランで働き、多くの人と出会った。

IELTSにも挑戦した。

英語力は十分ではなかったが、海外で生活することには少しずつ慣れてきていた。

そしてありがたいことに、仕事先からワークビザの話も出た。

海外生活を続けたい人にとって、それは決して小さな話ではない。

むしろ、多くのワーホリ参加者が目指す一つのゴールと言っても良いだろう。

それでも私は日本へ帰ることを選んだ。

なぜだったのか。

30歳までという自分なりの区切り

実はカナダにいた頃から、私には一つの考えがあった。

「30歳までには日本へ戻ろう」

というものだ。

特別な根拠があったわけではない。

ただ何となく、自分の中で30歳という年齢を一つの区切りにしていた。

20代は挑戦の時間。

30歳からは日本で生きていく。

そんな漠然としたイメージを持っていた。

今思えば若かった。

人生の30歳なんて、まだまだスタート地点みたいなものだ。

しかし当時の私は真剣だった。

だからワークビザの話をもらっても、「残る」という選択肢を本気で考えながら、最終的には帰国を選んだ。

親の存在が大きかった

帰国を決めた理由はいくつかある。

英語力への不安。

将来への不安。

お金の問題。

どれもゼロではない。

しかし一番大きかったのは親の存在だった。

当時は今のようにスマートフォンもない。

ビデオ通話も当たり前ではない。

海外に住むということは、本当に遠くへ行くということだった。

私は親元を離れて自由に生きていた。

海外で働き、海外で暮らし、多くの経験をしていた。

しかし同時に、親は日本で年を重ねていく。

若い頃は親がいつまでも元気だと思っていた。

だが、どこかでそんなわけがないことも分かっていた。

今振り返ると、あの時の判断は間違っていなかったと思う。

世界を見たからこそ帰国できた

海外に残りたくなかったわけではない。

むしろ逆だった。

カナダもニュージーランドも好きだった。

価値観の違う人たちと話すのも楽しかった。

英語を使う生活も刺激的だった。

世界にはイヤーオフが普通の国があることも知った。

人生を急がなくても良いという考え方も学んだ。

オールブラックスの話しかしないニュージーランド人にも驚いた。

日本にいるだけでは知ることのなかった世界がそこにはあった。

だからこそ私は満足していた。

もし海外へ行かずに日本にいたら、「海外で生活してみたかった」という後悔が残ったかもしれない。

しかし私は実際に行った。

働いた。

失敗もした。

挑戦もした。

だから帰国を選べたのだと思う。

正解だったのかは今でも分からない

正直に言う。

今でも考えることがある。

もしあのまま海外に残っていたらどうなっていただろう。

永住権を取っていたかもしれない。

現地で結婚していたかもしれない。

全く違う人生になっていた可能性もある。

しかし人生は一度しかない。

どちらの道が正解だったかなんて誰にも分からない。

大切なのは、その時の自分が納得して選んだかどうかだと思う。

私は自分で考え、自分で決めて帰国した。

だから後悔はない。

もちろん失敗もたくさんあった。

転職もした。

事業にも挑戦した。

自己破産も経験した。

決して順風満帆ではなかった。

それでも今こうして振り返ると、すべてが今の自分につながっている。

52歳になった今思うこと

52歳になった今、30歳の自分に言いたいことがある。

「人生は30歳で決まらない」

ということだ。

20代で失敗してもいい。

30代で遠回りしてもいい。

40代で転んでもいい。

50代からでもやり直せる。

実際に私は今、再起動の真っ最中だ。

だから若い人にも伝えたい。

迷ってもいい。

失敗してもいい。

ただ、自分で選んだ人生なら前へ進める。

私にとって30歳までに帰国するという選択は、その後の人生のスタート地点だったのかもしれない。

そして、その続きを今も生きている。

次回は、ニュージーランド生活の締めくくりとして「ありがとうニュージーランド」を書こうと思う。

あの国で出会った人たちと経験が、今の私に何を残してくれたのかを振り返ってみたい。

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