果樹園で働いた日本人ワーホリの現実|ニュージーランドで見た海外労働のリアル
28歳の私は、残金20万円ほどを握りしめてニュージーランドへ渡った。
カナダでのワーキングホリデーを終え、日本へ帰国した後も海外への気持ちは消えなかった。
そして再び飛行機に乗った。
今思えば無謀だったかもしれない。
だが、その無謀さが人生を動かしてきたのも事実である。
今回は、ニュージーランドで最初に働いた果樹園での生活について書いてみたい。
海外で働くことに憧れる人は多い。
しかし実際のワーホリ生活は、SNSで見るようなキラキラしたものばかりではなかった。
そこには泥だらけになりながら働く現実があった。
ニュージーランド到着後にまずやったこと
ニュージーランドへ到着して最初にやったのは仕事探しではない。
税番号の取得と銀行口座の開設だった。
これがないと働くことができない。
カナダでの経験があったので、そのあたりは比較的スムーズだった。
しばらくして私は北島のHastings(ヘイスティングス)へ向かった。
果樹園の仕事が多い地域として知られている場所だ。
当時のワーホリメーカーにとって定番の地域だった。
そこで出会ったイギリス人の若者と一緒に仕事を探すことになった。
果樹園の仕事は想像以上に地味だった
海外の農場や果樹園というと、のどかで楽しそうなイメージを持つ人もいるかもしれない。
しかし現実は違った。
朝は早い。
天候にも左右される。
立ち仕事も多い。
体力も必要だ。
私が働いた果樹園では、オリーブ、リンゴ、スクワッシュ(かぼちゃ)、ブドウなど様々な農作物を扱っていた。
作業内容も単純作業が中心だった。
黙々と働く。
ひたすら働く。
そんな毎日だった。
もちろん英語の勉強をしている余裕などない。
仕事を覚えることが最優先だった。
それでも海外で働いているという実感はあった。
日本にいたら経験できなかった世界だったからだ。
英語力より大切だったもの
実はこの頃の私の英語力は決して高くなかった。
カナダで1年過ごしたとはいえ、流暢に話せるレベルではない。
それでも何とか仕事になった。
理由は単純だった。
働く意思があったからだ。
英語が完璧だから採用されるわけではない。
時間を守る。
真面目に働く。
頼まれたことをやる。
そういう当たり前のことの方が重要だった。
これはカナダでもニュージーランドでも同じだった。
インドネシア人とのシェアハウス生活
住まいは決して豪華ではなかった。
インドネシア人たちとシェアハウス生活をしていた。
今思えば、それもまた貴重な経験だった。
日本にいるだけでは出会わない人たちと生活を共にする。
食文化も違う。
考え方も違う。
英語力以上に異文化理解を学んだ気がする。
ワーホリというと英語ばかり注目される。
しかし実際は人との出会いの方が大きい。
国籍の違う人たちと同じ屋根の下で暮らす経験は、日本ではなかなかできない。
果樹園で学んだ「まず動く」という考え方
振り返ると、私はいつも準備不足だった。
カナダへ行った時もそうだった。
ニュージーランドへ行った時もそうだった。
十分なお金があったわけでもない。
英語が完璧だったわけでもない。
それでも動いた。
だから経験が手に入った。
日本に残って情報収集ばかりしていたら、この果樹園での経験もなかっただろう。
私はよく思う。
人生は準備が整ってから始まるのではない。
動いた後に何とかするものだ。
もちろん無計画はおすすめしない。
だが、完璧を待っていたら人生は終わってしまう。
ワーホリの現実は「地味」だった
SNSには美しい景色が並ぶ。
観光地の写真も並ぶ。
だが、実際のワーホリ生活の大部分は働く時間だ。
朝起きる。
仕事へ行く。
疲れて帰る。
寝る。
その繰り返し。
地味である。
しかし、その地味な積み重ねが後になって人生の財産になる。
私は果樹園で働いた経験を今でも覚えている。
なぜなら、自分で動いて手に入れた経験だからだ。
失敗も含めて人生のネタになっている。
話のネタのない人生は少し寂しい。
挑戦したからこそ語れる話がある。
そしてニュージーランド人に驚かされる
果樹園で働き始めてしばらくすると、私はあることに気付いた。
ニュージーランド人は日本人が想像する以上にラグビーが好きだった。
本当に好きだった。
いや、好きというレベルを超えていたかもしれない(笑)。
当時の私はその熱量に驚かされることになる。
その話は次回、
「オールブラックスしか興味ないNZ人(笑)」
で書いてみたい。
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