「英語ができるようになったら海外へ行こう。」??
そう考えている人は多いと思う。
実は私もそうだった。
しかし27歳の私は、英語力が十分ではないままカナダへ渡った。
出発前のTOEICは405点。
今思えば、かなり心細い状態だった。
それでも結果的に1年間カナダで生活し、仕事を見つけ、友人を作り、人生を変える経験ができた。
今回は、なぜ英語力が十分ではなかった私がカナダで何とかなったのかを書いてみたい。
英語ができたから行ったのではない
多くの人が勘違いしている。
海外へ行く人は英語ができる人だと思われがちだ。
しかし私は違った。
当時の私は高卒で、第一○商を退職したばかり。
将来に対する不安も大きかった。
むしろ「このまま日本にいても何も変わらない」という気持ちの方が強かった。
英語ができるから行ったのではない。
人生を変えたかったから行ったのである。
最初の1か月は語学学校
カナダへ到着した私は、まずバンクーバーで銀行口座を開設し、1か月だけ語学学校へ通った。
しかし驚いたことに、英語力は劇的には伸びなかった。
なぜなら授業が終わると日本人同士で話してしまうからだ。
英語を勉強しているのに、日本語を使う時間が長い。
今振り返ると、英語力を伸ばすなら環境の方が重要だったと思う。
エドモントンへ16時間のバス移動
ホームステイも自分には合わなかった。
さらにバンクーバーはアジア人が多く、日本語でも日本訛りの英語でも生活できてしまう。
そこで私は思い切ってアルバータ州エドモントンへ向かった。
16時間の長距離バス移動だった。
知り合いもいない。
仕事もない。
それでも不思議と不安より期待の方が大きかった。
ここから本当の英語生活が始まった。
英語は勉強ではなく生存手段だった
エドモントンでは英語を使わなければ生きていけなかった。
部屋を借りる。
仕事を探す。
銀行へ行く。(給与は小切手だった(笑))
携帯の住所変更をする。
買い物をする。
すべて英語だった。
つまり英語は勉強ではなく、生きるためのツールだったのである。
今思うと、これが一番大きかった。
自分事になると人は必死になる。
教科書の英語よりも、「今すぐ必要な英語」の方が頭に残る。
話す内容を事前に準備していた
私は英語がペラペラだったわけではない。
だからこそ工夫した。
例えば部屋探しの前には、
「家賃はいくらですか?」
「デポジットはいくらですか?」
「いつから入居できますか?」
など、会話を想定して準備していた。
仕事の面接前も同じだった。
質問されそうなことを予想し、返答も考えていた。
実際の会話では多少違っても、準備しているだけで安心感が違う。
英語力以上に大切だったのは準備力だったと思う。
完璧を目指さなかった
日本人は間違えることを恐れる。
私もそうだった。
しかし海外では違う。
文法が多少間違っていても相手は理解しようとしてくれる。
実際、私は何度も間違えた。
それでも仕事は見つかった。
友人もできた。
イタリアンレストランで働くこともできた。
完璧な英語よりも、伝えようとする姿勢の方が重要だった。
恥ずかしがって話さない、頭に浮かんだことを伝えないのはもったいない。
時にはお酒が役に立つこともあった。英語でも饒舌になる。
ある日バーでカシスソーダを飲んでいたが、ファジーネーブルを注文したくなった。
メニューになかったので、ピーチリキュールとオレンジジュースだと説明した。
完璧な英語ではなかったと思う。
それでも普通に通じた。今思い出した(笑)
カナダで学んだ本当のこと
カナダで学んだのは英語だけではない。
「やってみないと分からない」
ということだった。
日本にいたら、おそらく私は
「もっと英語ができるようになってから」「お金がたまったら」
「仕事にきりがついてから」
と言い続けていただろう。
しかし現実は逆だった。
行ったから英語が必要になった。
必要になったから学んだ。
人生の多くはこの順番なのかもしれない。
まとめ
TOEIC405の私でもカナダで何とかなった。
もちろん苦労はたくさんあった。
失敗も数え切れない。
それでも挑戦したことで人生は大きく変わった。
今、英語力に自信がなくて一歩踏み出せない人がいるなら伝えたい。
完璧になる日を待たなくていい。
必要なのは勇気と行動だ。
英語は後からついてくる。
私自身、そのことをカナダで学んだ。
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