努力すれば報われる社会は本当に平等なのか(後編)

努力すれば報われる社会は本当に平等なのか(後編)

前編では、「努力すれば報われる」という考え方と、日本国憲法第14条が保障する「法の下の平等」について考えました。

私は努力そのものを否定するつもりはありません。

むしろ、これまでの人生で努力に救われた場面は数え切れないほどあります。

しかし同時に、努力だけでは乗り越えられない壁も経験してきました。

だからこそ、「努力」と「平等」を語るときには、制度や社会のあり方も一緒に考える必要があると思うのです。


自己責任という言葉が当たり前になった社会

「頑張れ」の裏にあるもの

近年、「自己責任」という言葉を耳にする機会が増えました。

仕事がうまくいかないのも自己責任。

収入が少ないのも自己責任。

転職できないのも自己責任。

もちろん、自分の行動に責任を持つことは大切です。

しかし、その言葉だけですべてを説明してしまうと、社会の課題まで個人の責任にしてしまう危険があります。

私は就職氷河期世代として社会に出ました。

努力しても求人が少ない。

正社員になること自体が難しい。

そんな時代を経験した人に向かって、「努力不足だった」と言うのは、あまりにも乱暴ではないでしょうか。


見えにくい「環境」の存在

努力できる環境そのものが、人によって違います。

家庭の事情。

経済的な余裕。

教育を受けられる機会。

健康状態。

住んでいる地域。

こうした条件は、自分の意思だけでは変えられません。

私は海外で生活したことで、その違いを実感しました。

カナダでもニュージーランドでも、年齢を理由に挑戦を諦める人は日本ほど多くありませんでした。

仕事を辞めて新しいことに挑戦する人。

学校へ戻る人。

何度でも人生をやり直す人。

そうした姿を見て、「失敗=終わり」ではない社会の空気を感じました。

一方、日本では一度失敗すると、「もう遅い」「もう無理」と見られがちな場面があります。

もちろん日本にも素晴らしい制度や文化はあります。

だからこそ、挑戦しやすい社会へ少しずつ変わっていけたらと思います。


権利を知ることが、本当の平等につながる

権利は「わがまま」のためではない

このシリーズを書き始めてから、改めて感じたことがあります。

それは、多くの人が「権利」という言葉に少し身構えてしまうことです。

権利を主張すると、わがままだと思われる。

空気を読まない人だと思われる。

そんな雰囲気を感じることがあります。

しかし、本来の権利とはそういうものではありません。

誰もが安心して生きるためにあるものです。

憲法が保障している権利は、一部の人だけの特権ではありません。

私たち一人ひとりのためにあります。

そして、権利を知ることは、誰かを攻撃することではなく、自分や周りの人を守ることにつながります。


努力と権利は対立するものではない

私は、「努力する人」と「権利を知る人」は両立できると思っています。

努力する。

学び続ける。

挑戦し続ける。

その一方で、自分が持つ権利や制度について知る。

この二つは矛盾しません。

むしろ、両方があって初めて、本当の意味で公平な社会に近づけるのではないでしょうか。

努力だけを求める社会でもなく、権利だけを主張する社会でもない。

そのバランスが大切なのだと思います。


52歳になって思うこと

私はこれまで、会社員として働き、海外へ行き、会社を作り、自己破産を経験し、暗号資産詐欺にも遭いました。

振り返れば、失敗の多い人生です。

それでも今、ブログやnoteで発信を続けられているのは、その経験があるからです。

若い頃は、「努力が足りなかった」と自分を責めることもありました。

しかし今は、それだけではなかったことも理解できます。

時代。

制度。

景気。

環境。

そして、自分自身の選択。

人生は、さまざまな要素が重なってできています。

だから私は、誰かを簡単に「努力不足」と決めつけたくありません。

その人には、その人にしか分からない事情があるかもしれないからです。


まとめ|平等とは「挑戦する機会」があること

努力は大切です。

努力を否定する社会になってはいけません。

しかし同時に、努力だけですべてを説明する社会にも違和感があります。

本当の平等とは、全員が同じ結果になることではありません。

誰もが挑戦する機会を持ち、自分らしく生きる権利が保障されていること。

私は、それこそが憲法が目指している社会の姿ではないかと思います。

52歳になって憲法を学び始めたからこそ、「努力」と「権利」は対立するものではなく、お互いを支え合うものなのだと気づきました。

そして、その先にある問いがあります。

「平等に生きる権利」があるなら、私たちは「幸せになる権利」について、どれだけ考えてきたのでしょうか。

次回は、日本国憲法第13条にある「幸福追求権」をテーマに、52歳になって初めて考えた「幸せ」とは何かについて、私自身の体験を交えながらお伝えしたいと思います。


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次回予告

「幸福追求権を52歳で初めて考えた」

憲法第13条に書かれている「幸福追求権」。学校ではほとんど深く学ばなかったこの権利を、52歳になった今だからこそ、自分の人生と重ねて考えてみたいと思います。そこには、失敗や遠回りを経験してきたからこそ見えてきた「幸せ」の形がありました。