幸福追求権を52歳で初めて考えた

幸福追求権を52歳で初めて考えた

はじめに

52歳になって、初めて日本国憲法の「幸福追求権」という言葉を真剣に考えました。

学生時代にも習ったはずです。
でも、正直なところ、テストのために覚えただけでした。

社会人になれば仕事。
生活のために働き、お金を稼ぎ、毎日をこなす。

「幸福を追求する権利」なんて考える余裕はありませんでした。

ところが、会社を辞め、自己破産を経験し、海外で暮らし、暗号資産詐欺で300万円以上を失い、人生を何度もやり直してきた今だからこそ、この言葉が心に刺さります。

幸福とは誰かに与えられるものではありません。

自分自身で探し、選び、追い求めるものなのだと、52歳になってようやく理解し始めました。


幸福追求権とは何なのか

憲法13条に書かれていること

日本国憲法第13条には、このように書かれています。

「すべて国民は、個人として尊重される。」

そして続いて、

「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については…」

という有名な一文があります。

つまり、

国民一人ひとりが、自分なりの幸せを追い求めることは尊重されるべき権利なのです。

ここで重要なのは、「幸福を保証する」とは書かれていないことです。

幸せを与えるのではなく、

幸せを目指す自由を守る。

これが幸福追求権です。


私はずっと「誰かの幸せ」を追いかけていた

世間の正解を信じていた

振り返れば、私はずっと誰かが決めた幸せを追いかけていました。

・いい会社に入ること

・正社員になること

・結婚すること

・収入を増やすこと

・人から認められること

どれも悪いことではありません。

でも、それは本当に私自身が望んでいた人生だったのでしょうか。

周囲と比べ、

世間体を気にし、

「普通」を目指していただけだった気もします。


海外で価値観が変わった

27歳でカナダへ。

28歳でニュージーランドへ。

そこで出会った人たちは、日本ほど「普通」に縛られていませんでした。

仕事を辞めて旅をする人。

30代で大学へ入り直す人。

何度でも仕事を変える人。

休みながら人生を楽しむ人。

日本では「大丈夫なの?」と思われるような生き方でも、本人たちは自然体でした。

あの頃は英語に必死で気付きませんでしたが、

今思えば、彼らは自分の幸福追求権を当たり前のように使っていたのだと思います。


幸福はお金だけではなかった

300万円を失って分かったこと

私は暗号資産詐欺で300万円以上を失いました。

当時は、

「人生終わった」

そう思いました。

もちろん、お金は大切です。

でも、そこから少しずつ立ち直る中で気付いたことがあります。

もし幸福がお金だけなら、

私は今でも立ち直れていないはずです。

神社へ通い、

散歩をし、

ブログを書き、

AIを学び、

毎日少しずつ前へ進む。

そんな日々にも、小さな幸せは存在していました。

幸福とは、

大きな成功だけではない。

日常の積み重ねにもあるのだと思います。


情報発信も幸福追求権の一つ

52歳からブログを書く理由

「52歳からブログを始めるなんて遅い。」

そう思う人もいるでしょう。

でも私は違います。

書きたいから書く。

伝えたいから伝える。

それも幸福を追求する一つの形です。

会社だけに人生を預ける時代は終わりつつあります。

AIが普及し、個人でも発信できる時代。

年齢を理由に挑戦を諦める必要はありません。

私自身、失敗ばかりの人生でした。

だからこそ、その経験を言葉にして誰かの役に立てるなら、それも私にとっての幸せです。


幸福は人それぞれ違っていい

正解は一つではない

誰かにとっては、

年収1,000万円が幸せかもしれません。

家族との時間が幸せな人もいます。

海外で暮らすこと。

地方で静かに暮らすこと。

毎日好きな仕事をすること。

どれも正解です。

幸福にはランキングがありません。

他人と比べるものでもありません。

だからこそ憲法は、「幸福を与える」とは書かず、「幸福を追求する権利」を認めているのでしょう。

その考え方を知った時、私は少し肩の力が抜けました。


おわりに

52年間生きてきて、私はようやく幸福追求権という言葉の意味を考えるようになりました。

もっと若い頃に知っていたら、人生は少し違ったかもしれません。

それでも遅くはありません。

今からでも、自分が本当に幸せだと思える人生を選び直すことはできます。

だから私は今日もブログを書き、学び、挑戦を続けています。

幸福は誰かに決めてもらうものではなく、自分で探し続けるものだからです。

そして憲法には、そんな私たち一人ひとりの自由がきちんと書かれています。

だからこそ、私はこれからも「自分らしい幸せ」を追い続けていこうと思います。


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次回予告

幸福を追求する権利があるなら、

最低限の生活を保障する「生存権」とは何を意味するのでしょうか。

「生きているだけでいい」という意味なのか、それとも「人間らしく生きること」なのか。

次回は、日本国憲法第25条にある生存権について、私自身の失業や生活再建の経験も交えながら考えてみたいと思います。