日本人は「権利」を知らないまま大人になる【後編】

日本人は「権利」を知らないまま大人になる【後編】

はじめに

前編では、日本人の多くが自分の権利を十分に知らないまま大人になっているのではないか、というテーマについて書いた。

私自身も、海外生活や転職、自己破産、失業などさまざまな経験をするまで、自分にどんな権利があり、どんな制度が利用できるのかを深く考えたことはなかった。

では、なぜ日本では「権利」を学ぶ機会が少ないのだろうか。

そして、権利を知ることは本当に「わがまま」なのだろうか。

今回は、その続きを考えてみたい。


権利を知ることは、自立することでもある

「助けを求めること」は弱さではない

私はこれまで、人生を何度もやり直してきた。

会社を辞め、海外へ渡り、起業し、失敗し、自己破産も経験した。

そのたびに思っていたのは、

「全部、自分一人で何とかしなければならない。」

ということだった。

だから相談することも苦手だった。

制度を利用することにも、どこか後ろめたさがあった。

しかし今振り返ると、それは思い込みだった。

社会保障制度も、失業手当も、生活を立て直すための仕組みも、「困った人のため」に存在している。

それらは特別な人だけのものではない。

必要な人が利用するための制度であり、それを知り、適切に使うことも社会の一員としての行動だ。

私は失業手当を受けながら、ブログやnote、SNSで新しい挑戦を始めた。

制度に支えられた時間があったからこそ、次の一歩を踏み出すことができた。


我慢だけでは社会は良くならない

日本では昔から、

「我慢は美徳」

と言われることが多い。

もちろん、忍耐は大切だ。

しかし、何でも我慢すればいいという話ではない。

長時間労働。

ハラスメント。

不当な扱い。

理不尽な契約。

こうしたものに対して、

「仕方ない。」

で終わらせてしまえば、同じ問題は次の世代にも残ってしまう。

権利を知ることは、誰かを攻撃することではない。

自分を守り、同じように困っている人を減らすことにつながる。

だから私は、「権利を学ぶこと」は社会を良くする第一歩だと思っている。


憲法は遠い存在ではない

私たちの日常につながっている

「憲法」と聞くと、多くの人は政治や法律の話だと思うかもしれない。

しかし実際には、私たちの日常生活と深くつながっている。

仕事を選ぶ自由。

住む場所を選ぶ自由。

自分の考えを発信する自由。

教育を受ける機会。

最低限度の生活を営むための仕組み。

どれも、当たり前すぎて普段は意識しない。

だからこそ、失って初めてその大切さに気付く。

私は人生で何度も「普通」を失ってきた。

仕事を失ったこともある。

お金を失ったこともある。

信用を失ったこともある。

そんな経験をしたからこそ、「当たり前を支える仕組み」のありがたさを実感している。


権利と義務は対立するものではない

「権利ばかり主張するな。」

という言葉を聞くことがある。

確かに、権利だけを求めて義務を果たさない社会は健全ではない。

しかし逆に、

義務ばかりを強調して権利を知らない社会も、健全とは言えない。

私は両方が大切だと思う。

権利を知る。

義務も果たす。

困った人がいれば支え合う。

そんな社会のほうが、お互いに安心して暮らせるのではないだろうか。


52歳になって思うこと

「知ること」は人生を変える

私は50代になってから、改めて憲法や社会制度について学び始めた。

正直、もっと若い頃に知っていればと思うこともある。

しかし、「遅すぎる」ということはない。

私がブログを書いている理由の一つもそこにある。

海外経験。

氷河期世代としての就職。

転職。

起業。

失敗。

自己破産。

再起動。

どれも順調な人生ではなかった。

それでも、その経験を社会制度や憲法という視点から見直してみると、「失敗」だけでは終わらない学びがあった。

もし私の記事を読んで、

「そういう考え方もあるのか。」

「自分にも使える制度があるかもしれない。」

そう思ってくれる人が一人でも増えたら、それだけで発信する意味があると思っている。


まとめ

権利は、特別な人だけのものではない。

私たち一人ひとりが、人間らしく生きるために保障されているものだ。

だからこそ、知らないままでいるのはもったいない。

知ることは、誰かと争うためではない。

自分を守り、家族を守り、社会をより良くするためである。

私自身、52歳になってようやく、その意味を少しずつ理解できるようになった。

だからこれからも、憲法や社会制度について、自分の経験を交えながら発信を続けていきたいと思う。

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次回予告

今回の記事では、「権利を知ること」の大切さについて考えた。

では、「努力すれば報われる社会」は、本当に平等なのだろうか。

スタートラインが違う社会で、努力だけを語ることはできるのか。

次回は、**「努力すれば報われる社会は本当に平等なのか」**というテーマで、氷河期世代としての実体験も交えながら考えていきたい。