なぜ日本は生きづらい国になったのか

なぜ日本は生きづらい国になったのか(前半)

「努力すれば報われる」は本当なのか

「頑張っているのに、なぜこんなに苦しいのだろう。」

52歳になった今、私はそんなことを考える時間が増えた。

若い頃は、「自分の努力が足りないからだ」と思っていた。

大学受験に失敗し、新聞配達をしながら浪人した。
海外へ飛び出し、英語を学び、何度も転職し、会社を作り、失敗し、自己破産も経験した。

人生を何度もやり直してきた私は、長い間「全部自己責任」だと思い込んでいた。

しかし、日本国憲法を読み始めてから、その考えは少しずつ変わっていった。

社会の仕組みを知ると、「生きづらさ」は個人だけの問題ではないことが見えてきたのである。

この記事では、日本がなぜ「生きづらい国」と言われるようになったのかを、私自身の経験も交えながら考えてみたい。


日本人は「我慢」が美徳だと教えられてきた

子どもの頃から「迷惑をかけるな」と育てられる

日本では、小さい頃からこう教えられる。

  • 人に迷惑をかけるな
  • 空気を読め
  • 我慢しなさい
  • みんなと同じでいなさい

もちろん、協調性は社会で大切な能力だ。

しかし、それが行き過ぎると、「自分の気持ち」より「周りの目」を優先する人生になってしまう。

私自身もそうだった。

「会社を辞めたい。」

そう思っていても、

「辞めたら負けだ。」

「続けることが正しい。」

そんな価値観に縛られていた。


「頑張れ」が人を追い詰めることもある

日本では、苦しい人に対しても、

「もっと頑張れ。」

と言う文化がある。

もちろん励ましの意味もある。

しかし、すでに限界まで頑張っている人にとって、その言葉はナイフになることもある。

私も精神的に落ち込んでいた頃、

「気持ちの問題だ。」

「考え方を変えればいい。」

と言われたことがあった。

でも、本当に苦しい時は、考え方だけではどうにもならない。

それを今なら理解できる。


「自己責任」という言葉が強くなり過ぎた

成功は努力、失敗も努力不足?

近年、日本では「自己責任」という言葉をよく耳にする。

もちろん、自分で責任を持って行動することは大切だ。

しかし、何でも自己責任で片付けてしまう社会には違和感がある。

例えば、

  • 生まれた家庭
  • 地域格差
  • 教育環境
  • 景気
  • 就職氷河期

こうしたものは、自分では選べない。

それでも、

「努力が足りなかった。」

の一言で終わらせてしまう。

本当にそれだけなのだろうか。


氷河期世代は努力していなかったのか

私は団塊ジュニア、いわゆる就職氷河期世代だ。

決して怠けていた世代ではない。

むしろ、多くの人が必死に就職活動をしていた。

それでも、

正社員になれなかった人。

派遣を転々とした人。

将来設計を描けなかった人。

そういう現実があった。

もし景気が違えば、人生も違っていた人は少なくないだろう。

だから私は最近、「自己責任だけでは説明できない人生がある」と考えるようになった。


「働くこと」が人生の中心になり過ぎた

生きるためではなく、働くために生きているような社会

日本では、

「何をしている人ですか?」

という質問が、その人自身を表すようになっている。

仕事がなくなると、

「自分には価値がない。」

そう感じてしまう人も少なくない。

私も失業した時、自分の存在価値まで失ったような気持ちになった。

しかし、日本国憲法を読んで驚いた。

そこには「働くこと」より先に、「人として尊重されること」や「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」が書かれていた。

つまり、本来は人間としての尊厳が先なのである。

この順番を、私たちはいつの間にか逆に考えるようになってしまったのではないだろうか。


前半まとめ

ここまで見てきたように、日本の生きづらさは、一人ひとりの努力不足だけでは説明できない。

  • 我慢を美徳とする文化
  • 強すぎる自己責任論
  • 働くことが人生の中心になった価値観

こうしたものが積み重なり、多くの人が「苦しい」と感じる社会になっているように思う。

後半では、この背景にある日本社会の構造や制度、そして私たちがこれからどのような視点を持てば、生きづらさを少しでも減らせるのかについて考えていきたい。

後半

「普通」から外れると急に生きづらくなる

レールから外れた人に冷たい社会

日本では、いまだに「普通の人生」の圧力が強い。

学校を出る。
就職する。
結婚する。
家を買う。
定年まで働く。

この流れに乗れた人は、社会の中で比較的説明しやすい。

しかし、一度レールから外れると急に説明が難しくなる。

転職が多い。
失業期間がある。
病気で休んだ。
起業に失敗した。
人間関係をリセットした。

私自身、履歴書だけを見れば「何をしてきた人なのか分かりにくい人生」だと思う。

でも、その一つひとつには理由があった。

迷いながらも生きてきた時間がある。

それなのに、社会は結果だけを見る。

「なぜ続かなかったのか」
「なぜ失敗したのか」
「なぜ普通にできなかったのか」

そう問われ続けると、人は自分の人生そのものを責めるようになる。


助けを求めることが下手な社会

「困っています」と言うことに罪悪感がある

日本では、助けを求めることがあまり得意ではない。

生活が苦しい。
心がしんどい。
働けない。
人間関係がつらい。

本当は早めに誰かに相談した方がいい。

でも、多くの人はギリギリまで我慢してしまう。

私もそうだった。

「まだ大丈夫」
「自分で何とかしなければ」
「相談するほどではない」

そう思っているうちに、状況がどんどん悪くなる。

そして限界を超えてから、ようやく助けを求める。

しかし、その時にはもう立て直すのに大きなエネルギーが必要になっている。


権利を知らないと、我慢しか選べなくなる

最近、憲法や社会制度について考えるようになって、強く感じることがある。

それは、権利を知らない人ほど、我慢するしかなくなるということだ。

生存権。
幸福追求権。
個人の尊重。
社会保障。
相談窓口。
支援制度。

こうしたものを知らなければ、苦しい時に「自分が悪い」と思い込んでしまう。

もちろん、制度を知っただけで人生が一気に変わるわけではない。

それでも、

「助けを求めてもいい」
「一人で抱え込まなくていい」
「生きる権利はある」

そう思えるだけで、心の重さは少し変わる。


生きづらさの正体は「選択肢の少なさ」かもしれない

会社以外の生き方を知らなかった

日本が生きづらい理由の一つは、選択肢が少なく見えることだと思う。

学校を出たら会社に入る。
会社で評価される。
安定した収入を得る。
老後まで働く。

このルートから外れると、「人生が終わった」ように感じてしまう。

私も長い間、会社に所属していない自分に不安を感じていた。

でも、今は少し違う。

ブログを書く。
noteを書く。
AIを使う。
自分の経験をコンテンツにする。
社会問題を自分の言葉で考える。

まだ大きな成果が出ているわけではない。

それでも、「会社だけが人生ではない」と思えるようになったことは、私にとって大きな変化だった。


生き方を一つに決めつけない社会へ

これからの日本に必要なのは、「正しい人生」を一つに決めつけないことだと思う。

正社員で生きる人がいていい。
フリーランスで生きる人がいていい。
一度休む人がいていい。
やり直す人がいていい。
病気と付き合いながら生きる人がいていい。
50代から学び直す人がいていい。

人生には、もっと幅があっていい。

特に今の時代は、AIやSNSによって、個人が発信できる環境がある。

昔なら「失敗」と見られた経験も、今は誰かの役に立つ言葉になる可能性がある。

私自身、失敗ばかりの人生だったからこそ、書けることがあると感じている。


日本を変える前に、まず見方を変える

「自分だけがダメ」という思い込みを手放す

日本の生きづらさを考える時、社会を批判するだけでは不十分だ。

同時に、自分自身の見方も変えていく必要がある。

私は長い間、

「自分はダメな人間だ」
「普通にできない」
「また失敗した」

と思ってきた。

でも今は、少しずつこう考えるようにしている。

「失敗したけれど、生きている」
「遠回りしたけれど、経験は残っている」
「普通ではないからこそ、書けることがある」

これは、きれいごとではない。

何度も落ち込んで、何度もリセットして、それでもまた立ち上がろうとしている人間の実感だ。


生きづらさを言葉にすることから始める

社会をすぐに変えることは難しい。

でも、自分の感じている生きづらさを言葉にすることはできる。

「なぜ苦しいのか」
「何に縛られているのか」
「本当はどう生きたいのか」

それを考えるだけでも、人生の見え方は少し変わる。

私にとってブログやnoteは、単なる発信ではない。

自分の人生を整理し直す作業でもある。

そして、同じように生きづらさを感じている人に、

「あなた一人だけではない」

と伝えるための場所でもある。


まとめ|日本は生きづらい。でも、人生まで諦めなくていい

日本が生きづらい国になった理由は、一つではない。

我慢を美徳とする文化。
強すぎる自己責任論。
働くことに偏った価値観。
普通から外れた人への冷たさ。
助けを求めにくい空気。
選択肢の少なさ。

それらが重なって、私たちはいつの間にか「生きるだけで疲れる社会」にいるのかもしれない。

でも、だからといって人生まで諦める必要はない。

社会の仕組みを知ること。
権利を学ぶこと。
自分の経験を否定しないこと。
小さくても別の選択肢を探すこと。

そこから、少しずつ生き方は変えられる。

52歳になって憲法を読み、社会について考え始めた私は、まだ何かを成し遂げたわけではない。

むしろ、何度も失敗してきた側の人間だ。

それでも今は思う。

生きづらさを感じる人生にも、意味はある。

その苦しさを言葉にすることで、誰かの孤独を少しだけ軽くできるかもしれない。

日本はたしかに生きづらい。

でも、私たちはまだ、自分の人生を考え直すことができる。

そしてその先に、「個人の幸せ」と「社会のあり方」をもう一度見つめ直す道があるのだと思う。

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次回予告

今回の記事では、日本社会の「生きづらさ」について広い視点から考えてきました。

その中でも特に気になったのが、「自己責任」という言葉です。

本来、自分で責任を持って生きることは大切な考え方です。しかし、その言葉が必要以上に使われることで、苦しんでいる人をさらに追い詰めてしまう場面も少なくありません。

次回は、「自己責任論」が人を追い詰める理由について、社会構造や心理面、そして私自身の経験も交えながら深掘りしていきます。