前半
「自己責任論」が人を追い詰める理由
「努力が足りない。」
「結果が出ないのは自己責任。」
「成功できないのは甘えだ。」
こんな言葉を、一度は聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。
もちろん、自分の行動に責任を持つことは大切です。私自身も、人生で多くの失敗を経験し、「あの時もっとこうしていれば」と何度も反省してきました。
しかし近年、日本では「自己責任」という言葉が、あまりにも万能な言葉として使われすぎているように感じます。
本来は一人ひとり異なる事情があるはずなのに、その背景を無視して「全部あなたの責任」と片付けてしまう。
その空気こそが、多くの人を苦しめているのではないでしょうか。
今回は、52歳になって社会や憲法を学び直す中で考えるようになった「自己責任論」について、自分自身の経験も交えながら書いてみたいと思います。
自己責任は本当に100%正しいのか
努力だけでは説明できない現実
私はこれまで、転職、海外生活、会社設立、自己破産、暗号資産詐欺など、本当にさまざまな経験をしてきました。
その中には、自分の判断ミスだったものもあります。
だから、自分に責任がなかったとは思っていません。
しかし同時に、「努力すれば必ず報われる」というほど、世の中は単純ではないことも知りました。
生まれ育った家庭。
教育環境。
景気。
時代。
健康。
人との出会い。
これらは本人だけではどうにもできない部分があります。
それでも結果だけを見て「全部自己責任」と言ってしまえば、多くの現実を見落としてしまうことになります。
氷河期世代が経験したもの
私は団塊ジュニア・就職氷河期世代です。
大学を卒業しても仕事がない。
正社員になれない。
ようやく就職できても低賃金。
そんな時代を経験した人は少なくありません。
もちろん、その中でも成功した人はいます。
だからといって、「成功した人がいるのだから失敗した人は努力不足」という結論にはなりません。
スタートラインが違えば、努力の結果にも差が出ます。
私は52歳になって初めて憲法を読み、「すべての国民が健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」という考え方に触れました。
そこには、「弱い立場になった人を社会全体で支える」という発想があります。
自己責任だけではなく、社会全体の責任もあるという考え方です。
この視点は、これまでの自分にはありませんでした。
「助けを求めること」が悪になってしまった
苦しくても声を上げられない社会
自己責任論が強くなると、人は助けを求めにくくなります。
「相談したら甘えていると思われる。」
「生活保護なんて恥ずかしい。」
「精神的につらいと言ったら弱い人間だと思われる。」
そんな空気が生まれてしまいます。
私自身も、人生で何度も一人で抱え込みました。
「男だから弱音を吐けない。」
「自分で何とかしなければ。」
そんな思い込みで苦しんだ時期があります。
結果として、さらに状況が悪くなることもありました。
もっと早く相談していれば。
もっと早く助けを求めていれば。
そう思う出来事はいくつもあります。
だから今は、「助けを求めることは決して恥ではない」と考えるようになりました。
社会は一人で生きるようにはできていない
人は誰かに支えられながら生きています。
子どもの頃は親に育てられます。
学校では先生から学びます。
働けば会社や取引先、お客様との関係があります。
病気になれば医療があります。
困った時には福祉制度があります。
つまり、人は最初から「社会」の中で生きています。
それなのに、大人になった瞬間だけ「全部自己責任」と言われるのは、少し不自然ではないでしょうか。
本当の自立とは、「誰にも頼らないこと」ではありません。
必要な時に支援を受け、また自分も誰かを支える。
そうした循環の中で生きることなのだと思います。
後半では、「自己責任」と「自分の責任」の違い、日本社会が抱える課題、そして私たちがこれから目指すべき社会について考えていきます。
後半
「自己責任」と「自分の責任」は違う
自分にできることは、自分で引き受ける
ここまで自己責任論について書いてきましたが、私は「責任は必要ない」と言いたいわけではありません。
私自身、FXやギャンブルで生活費を失ったことがあります。
冷静に振り返れば、自分の判断が甘かった部分は間違いなくありました。
だからこそ、その失敗から学び、同じ過ちを繰り返さない努力を続けています。
自分で改善できることは、自分で変えていく。
これは人生を前に進めるために必要な姿勢だと思います。
しかし、自分ではどうにもできないことまで「すべて自己責任」と背負わせる社会は、人を成長させるどころか、追い詰めてしまいます。
人は失敗してもやり直せるべき
私は人生で何度もリセットしてきました。
海外へ飛び出したこと。
会社を辞めたこと。
起業したこと。
そして、大きな失敗も経験しました。
もし「あの一度の失敗で人生終了」という社会だったら、私は今こうして情報発信を続けることもできなかったでしょう。
人生には失敗があります。
挑戦にはリスクがあります。
だからこそ、もう一度立ち上がるチャンスが必要なのです。
挑戦できる社会とは、成功だけを評価する社会ではありません。
失敗した人にも、再挑戦の機会がある社会です。
自己責任論が強すぎる社会が失うもの
誰も挑戦しなくなる
「失敗したら自己責任。」
この考え方が極端になると、人は挑戦しなくなります。
転職しない。
起業しない。
海外へ行かない。
夢を語らない。
なぜなら、一度失敗したら周囲から責められることを知っているからです。
しかし、それでは社会全体の活力も失われてしまいます。
私はカナダやニュージーランドで暮らした経験がありますが、日本とは違う価値観に何度も触れました。
もちろん海外にも厳しさはあります。
それでも、「人生は何度でもやり直せる」という考え方に救われた場面がありました。
一度の失敗で人を評価し続けるより、「次はどうする?」と背中を押す社会のほうが、多くの人が前を向けるのではないでしょうか。
「支えること」は甘やかすことではない
社会保障や福祉について議論になると、「甘やかしではないか」という意見もあります。
確かに、不正利用は防がなければなりません。
しかし、本当に困っている人まで「自己責任」の一言で切り捨ててしまえば、困窮はさらに深刻になります。
誰でも病気になる可能性があります。
事故に遭うこともあります。
会社が倒産することもあります。
家族の介護が必要になることもあります。
人生には、自分だけでは乗り越えられない出来事があります。
だからこそ、社会には支え合う仕組みが必要なのだと思います。
まとめ|責任を認めながら、支え合える社会へ
私は52歳になって初めて憲法を読み、社会の仕組みについて学び始めました。
その中で感じたのは、「自己責任」と「社会の責任」は対立するものではないということです。
自分にできる努力は続ける。
失敗したら反省する。
しかし、誰もが安心して再挑戦できる環境も同じように大切です。
自己責任だけでは、人は救えません。
社会保障だけでも、社会は成り立ちません。
両方のバランスがあってこそ、人は希望を持って生きられるのだと思います。
私自身も失敗を重ねてきました。
それでも情報発信を続けているのは、「人生は何歳からでもやり直せる」と信じているからです。
この考え方が、今苦しんでいる誰かの背中を少しでも押すことができたなら、とても嬉しく思います。
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次回予告
自己責任論が強い社会では、「お金がない」という理由だけで再挑戦の機会を失ってしまう人も少なくありません。
では、なぜ日本では**「お金がない人ほど人生をやり直しにくい」**のでしょうか。
次回は、教育、転職、住まい、挑戦のコストなど、日本社会が抱える構造的な問題について、私自身の経験も交えながら考えていきます。


