19歳、所持金2万円で東京へ出た日|人生最初の再起動は無謀な上京だった

19歳、所持金2万円で東京へ出た日|人生最初の再起動は無謀な上京だった

19歳の私は、所持金2万円を握りしめて東京へ向かった。

今振り返ると無謀だったと思う。

親元を離れ、新聞配達をしながら予備校に通うことを決めていた。しかし、そのことは親に内緒だった。親がその事実を知ったのは、私が東京へ出発する当日である。

52歳になった今でも、あの日のことを鮮明に覚えている。

なぜなら、あの日は私の人生で最初の「再起動」だったからだ。

なぜ東京へ行こうと思ったのか

高校卒業後、私は第一志望だった慶應義塾大学環境情報学部と早稲田大学商学部を目指して浪人生活を送っていた。

1年目は東進ハイスクールで普通の浪人生活だった。しかし結果は不合格。

悔しかった。

もう1年挑戦したい気持ちはあったが、家計に余裕があったわけではない。

そこで考えたのが、新聞配達をしながら予備校へ通う方法だった。

今ならインターネットで情報収集できる。しかし当時は違う。

「とにかく東京へ行く」

それだけを決めていた。

親に内緒で決めた上京

実は新聞配達をしながら生活することを、親には伝えていなかった。

反対されると思ったからだ。

心配をかけたくない気持ちもあった。

だから出発の日まで黙っていた。

今思えば親不孝だったかもしれない。

しかし当時の私は必死だった。

学歴コンプレックスを抱えたまま地元に残るより、自分で人生を切り開きたかった。

親が驚いた顔は今でも覚えている。

それでも私は東京へ向かった。

所持金2万円で始まった東京生活

東京へ出る時の所持金は2万円だった。

今なら考えられない。

スマホもない時代である。

失敗したら終わりだった。

しかし不思議と恐怖より期待の方が大きかった。

若さとはそういうものなのかもしれない。

「なんとかなる」

根拠は何もない。

それでも前へ進んだ。

実際には、なんとかなることばかりではなかった。

生活費、勉強、仕事。

すべてを同時にこなさなければならなかった。

真っ暗な朝と新聞配達の日々

世田谷区での新聞配達は想像以上に厳しかった。

特に冬。

まだ真っ暗な時間に起きる。

眠い目をこすりながらスーパーカブに乗る。

寒さで手がかじかむ。

雪の日もあった。

それでも配達を休むことはできない。

配達が終われば予備校へ向かう。

勉強して帰宅し、また翌朝早く起きる。

そんな毎日の繰り返しだった。

今の私が朝散歩を続けられるのは、あの頃の経験があるからかもしれない。

世田谷で警察に切符を切られた

忘れられない出来事がある。

新聞配達中に警察に交通違反で切符を切られたのだ。

ただでさえお金がない。

所持金2万円からスタートした生活である。

その出費は本当に痛かった。

当時は落ち込んだ。

しかし今振り返ると笑い話だ。

人生には予想外の出来事が起こる。

それでも前へ進むしかない。

この考え方は、その後の人生で何度も役に立った。

あの日の挑戦がその後の人生を作った

結局、私は第一志望には合格できなかった。

しかし、あの上京が無駄だったとは思わない。

新聞配達で働くこと。

自立すること。

自分で人生の責任を持つこと。

それらを19歳で学べた。

そして後に、カナダやニュージーランドへのワーキングホリデーへ挑戦することになる。

さらに店長職やマネージャー職も経験した。

もしあの日、地元で安全な道だけを選んでいたら、今の私は存在しなかっただろう。

人生は準備が整ってから始まるわけではない

52歳になった今、失業や再起動という新たな課題に向き合っている。

しかし不思議と悲観していない。

なぜなら19歳の頃から、何度も人生をやり直してきたからだ。

所持金2万円で東京へ出た日。

50万円だけ持ってカナダへ行った日。

そして52歳でブログやAIに挑戦している今。

振り返ると共通点がある。

それは「完璧な準備を待たなかったこと」だ。

人生は準備が整ってから始まるわけではない。

不安を抱えたままでも、一歩踏み出した人だけが見られる景色がある。

私は人生の次の季節に向けて準備している。

そして今日もまた、小さな一歩を積み重ねていこうと思う。


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