竹中平蔵とは何者だったのか?──改革者か、それとも格差社会を広げた人物なのか
「竹中平蔵」。
この名前を聞いて、皆さんはどんなイメージを持つでしょうか。
「日本を改革した経済学者。」
「小泉改革を支えたブレーン。」
そんな評価がある一方で、
「格差社会を作った人物。」
「派遣社員を増やした人。」
という厳しい声もあります。
私は後者に近い考えです。
もちろん、感情だけで評価するつもりはありません。
金融危機を乗り越えた功績があることも事実です。
しかし、私は実際に派遣社員として働き、雇い止めを経験しました。
だからこそ、この問題はニュースではなく、自分自身の人生として考えています。
今回は、竹中平蔵氏の功績と批判の両方を整理しながら、私自身の考えを書いてみます。
日本の金融危機を救ったと言われる理由
2000年代初め、日本は「失われた10年」と呼ばれる深刻な不況の中にありました。
銀行は大量の不良債権を抱え、金融システムそのものが揺らいでいました。
当時、小泉純一郎政権で経済財政政策担当大臣や金融担当大臣を務めた竹中平蔵氏は、「金融再生プログラム」を進めます。
銀行の不良債権処理を加速させ、公的資金の投入も行いながら金融システムの安定化を図りました。
結果として、日本の金融危機が深刻化することは避けられたと評価する専門家もいます。
この点については、私も一定の功績があったことは認めるべきだと思います。
しかし、その後に何が起きたのか
一方で、構造改革の中では規制緩和も進められました。
その代表例が労働市場です。
派遣労働の対象が広がり、企業は必要なときに必要な人数を雇いやすくなりました。
企業にとっては効率的だったかもしれません。
しかし、働く側はどうだったのでしょうか。
非正規雇用が増え、雇用が不安定になったと感じる人も少なくありません。
もちろん、これを竹中氏一人の責任にすることはできません。
グローバル化や企業の経営判断など、さまざまな要因が重なっています。
それでも、「構造改革が雇用に大きな影響を与えた」という見方があるのも事実です。
私が派遣社員として経験したこと
これは、私自身の話です。
私は派遣社員として銀行のコールセンターで働いていました。
ある日、フロアにいた派遣社員の約半数が雇い止めになりました。
私もその中の一人です。
昨日まで普通に働いていた人たちが、一斉に職場を去っていく。
「派遣だから仕方ない。」
そんな空気が当たり前のように流れていました。
あのとき感じた不安や悔しさは、今でも忘れられません。
だから私は、「雇用の柔軟性」という言葉を聞くたびに、その裏側にいる働く人たちのことも考えてしまいます。
パソナとの関係が議論になった理由
竹中氏への批判で、もう一つよく取り上げられるのがパソナグループとの関係です。
竹中氏は、政府の有識者会議などで政策について意見を述べる立場を務める一方、人材サービス企業であるパソナグループの役員も務めていました。
このため、「政策提言と企業活動との利益相反ではないか」という批判が出たことがあります。
一方で、竹中氏自身は、法令に反することはしていないと説明しており、この点については現在もさまざまな見方があります。
だからこそ、私たちは感情だけではなく、事実を確認しながら判断する姿勢も大切だと思います。
私が積極財政を支持する理由
私は以前から積極財政を支持しています。
その理由は、とてもシンプルです。
日本は30年以上にわたり賃金が伸び悩み、多くの家庭で生活が苦しくなりました。
現役世代の可処分所得は思うように増えず、将来への不安も大きくなっています。
私は、必要な投資まで抑えてしまう政策よりも、未来につながる投資を行い、経済を成長させる政策に期待しています。
もちろん、財政の健全性を無視していいとは思いません。
しかし、経済が元気にならなければ、税収も増えず、国の力も弱くなってしまいます。
私は、日本にはもう一度「成長する力」を取り戻してほしいと思っています。
まとめ
竹中平蔵氏は、日本の金融危機を乗り越える上で大きな役割を果たした人物です。
その一方で、構造改革や労働市場改革については、今もなお賛否が分かれています。
私自身は、派遣社員として雇い止めを経験した立場だからこそ、その改革の「光」だけではなく、「影」の部分も強く感じています。
だから私は、人物を好きか嫌いかではなく、
「その政策は、働く人の暮らしを本当に豊かにしたのか。」
これからも、その視点で政治や経済を見続けていきたいと思います。


